特別監視区域ロフィイフォルメ:0

【■■■■軍特殊作戦棟直通廊下】
【ロフィイフォルメ中心部入口付近】


本部からロフィイフォルメ中心部に続く唯一の直通路。目の前には防火仕様の重たい扉が複数の鍵で封鎖され、物々しい雰囲気を放っている。

「…いよいよですね」
「遠足じゃないんだ、気を引き締めろ。準備は出来たか」
「はいッ、上官!」

我が軍の特殊作戦部隊・第五監視隊(通称『五監』)に所属している俺は、統制局の命令で、新入りと共に例のゴミ溜めへ足を踏み入れることになった。
スラム街ロフィイフォルメは蟻地獄だ。入り込むことは容易でも、外に出るには金とツテ、何よりも強運が必要となる。ツテを得る機会を聞きつけてこぞって群がる虫どもが、チームによるスラム街内部の視察を困難にしている原因のひとつだった。
その限りある機会を多額の金と豪運をもってして掴み取った者のひとり、バトラコイデスの女主人からの報告により、現在のロフィイフォルメについてある程度の情報は仕入れている。……しかし実際にチームが足を踏み入れて視察をするのは久しぶりのことだ。これが初めてのゴミ溜め体験となる憐れな新入りには、キツい一発になるだろう。

「? どうされましたか?」

報告書の文面を新入りがどう理解しているのか、澄んだ表情からは伺い知れない。

「……何も無い。行くぞ」
「はい!」

厳重に鍵をかけられた分厚い扉が、軋みながら開かれた。扉に刻まれた軍の紋章と、その真下についているハンドルは、緊張した様子の新入りの目には入らなかったようだった。

「っ……、匂いが、違いますね……なんだこの臭い」

顔を顰めた新入りが呟いた。
扉から先に一歩踏み込めば、据えた臭いが襲ってくる。建物にも染み付いて、よほど成功して生活が成り立っているような人間でなければ取れないのだろうこの臭いの発生源は、ここから先いくらでも目にすることになるのだろう。
外からは様々な音が混ざって耳に届く。風がうねって鳴いているのか獣が吠えているのか、最早判別もできない。
そのまま新入りと廊下を進む。壁には古い鉄の管が埋め込まれ、中心部の建物に続いているのが見えた。さらにそこから壁を貫通して外壁を伝い、絡めるように地面へと伸びるような形で太い管が地中に潜っている。地上からは届かないように設置されている廊下とはいえ、ここは既にロフィイフォルメの腹の中なのだ。



【ロフィイフォルメ内部】
【ロフィウス通りとアンテナリア通りの境目】


上官の背を追ってロフィイフォルメの内部を歩く。

道には薬で半分腐った人間が転がり、目につく子どもは飼われるか殺されるか、攫われどこぞに売られるか。女は搾取され呻き声をあげている。向こうでは男たちの乱闘と、怒号が聞こえ​──……だが外からふと迷い込む人間に対しては結託して骨の髄まで搾り取ろうとする、魔窟。

「あんまりキョロキョロするな。狙われるぞ」
「は、はいッ」

上官の声になんとか返事をして足を進める。見たくもないのに、目が勝手にそちらを向いてしまう。
異様な臭いと光景に息ができない。
ゴミ溜めの中でも財を築いた人間の中には、傭兵に守らせた箱庭の中で酒を浴び、気に入りの少年少女を待らせている、不埒なやつもいるようだ。

「綺麗事じゃどうにもならん場所だ。我々の目的はなんだ? 蹴り飛ばしてでも進め」
「っ、はいッ」

淡々と告げながら、上官は道端のゴミを無造作に踏みつけた。返事は震えてはいなかっただろうか。それにしても……


視線が刺さる。


廃ビルに潜んで暮らしながら、子どもにナイフの握り方を教えているやつもいる。それでも子どもはこの場所で、ろくに生きていくことができるかどうか。
視線が刺さる。まるで獲物を見るようだ。
少し情が湧いていたのだろう犬に今まさに噛み殺されて、餌にされているやつがいた。見てしまった。店先にぶら下がっているやけに安い値段のあの肉は、何の肉なんだろう。
人類の友たる犬が人の血肉の味を覚え、異臭に蝿が集り、強者が次の瞬間にはその日を生きる糧にされている。
今も様子を伺われているのを、肌で感じる。

「​───────なんなんですか、ここは」

途方にくれた今際の際のような声が、自身の喉を乾かしながらこぼれ落ちた。報告書の文字列だけで、理解した気になっていた。こんな場所が我が国に​──この世に、存在していたのか。本当に?

「情報共有の時に言っただろ。クソをドブで煮詰めたスラム街。我が国のゴミ溜め、ロフィイフォルメだ」

こんな地獄を、何故国は放置しているのか。何故、こんな場所に遊びに向かう権力者さえいるのか。
上官の声は動揺の欠片もなくオレの耳に届く。今思えばきっとオレはこの時、とても混乱していた。困惑していたのだ。昨日までは知る由もなかった世界に、信じられない気持ちでいっぱいだった。


​──────こんな場所、こんな場所が。このまま存在していて、いいのか?


ギチリとどこかで手袋が擦れる音がする。自分が手を握りしめていたことにも気付かなかった。

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